島プリン君のBlog

石垣島在住者・旅行者向けにリアルな石垣島のローカル情報を紹介。

石垣島の神社にいくつか行ってみた

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石垣島にはいくつか神社であり。いくつか行って来たので、少し書きたいと思います。

私自身が石垣島に引っ越してきて行きたいと思っていたけど全然行けてなかった唯一の場所でもあります。

石垣島ではパワースポットとも言われている神社も多いですね。

<目次>

 

美崎御嶽(みさきおん)

入口に鳥居がありますが、内地の神社とは違う場所です。

鳥居は明治時代の「皇民化政策」により建てられたもので、沖縄本島では撤去された御嶽が多いですが八重山では残っている場所が多いです。

御嶽は、内地の神社と違いまして、奥に「イビ」という神域があります。
この場所にはノロ、ツカサ等の神職の許可なく入ってはいけません!

美崎御嶽は、オヤケアカハチ事件の時に 、真乙姥(マイツバ)という司がウガン(祈願)した場所です。

1500年にオヤケアカハチという石垣島の豪族が琉球王朝に年貢を納めることを拒否しました。
そこで中山(ちゅうざん)と宮古の軍勢が石垣島を攻めました。

これを「オヤケアカハチ事件」と呼びます。

オヤケアカハチを倒した後、軍勢が帰る時に無事を祈ったのが真乙姥です。
美崎御嶽のイビで真乙姥がウガン(祈願)した所、軍勢は一人も欠けることなく、無事に帰還したそうです。

昔の琉球の戦いは、まずノロ・司が呪詛を掛け合う所から始まります。
目に見えない世界が近年までとても身近な世界だったのですね。(現代も、ですが

オヤケアカハチ石垣島では重税と戦った英雄として大切にされています。
オヤケアカハチの像も建ってます。

この美崎御嶽は、オヤケアカハチに対抗した側の聖地ですから沖縄本島に繋がっている御嶽ともいえます。

御嶽には通し御嶽(トゥーシオン)と言って首里にウガンを「通す」御嶽もあります。

 

宝来宝来(ホギホギ)神社

通りすがりに気になった赤い神社。行って見たら、宝くじやギャンブル等で大金を得た時に金銭感覚が麻痺して不幸にならないよう導く宗教団体らしい。

その教義は「当銭岩様を本尊としてお金のありがたさ及び敬いを説法して宝くじ当選やギャンブル等で思いがけない大金を突然得た場合にお金の感覚に麻痺しないように、そして正常な精神状態を維持して人生いかにあるべきか考え日々感謝して一般の社会生活が営めるように説法する。

 

冨崎観音堂

 観音堂は、1701年(康熙40)頃の創建とされ、初めは大浜集落の北方、カヤンニ原に小堂が建てられたといわれています。その後、船の航海安全を祈願する「経塚」が冨崎原に創建されていたことから、1742年(乾隆7)に現在地に移転し、冨崎観音堂と呼ばれるようになったといわれています。移転後の変せんを辿ってみますと、冨崎観音堂は、当初、茅ぶきでしたが、1784年(乾隆49)頃、瓦ぶきへと改築、1837年(道光17)には経塚を中央にして観音3体を上部の壇に安置した本堂が創建されたといわれています。
 その後、拝殿ならびに本堂は、台風や火災などにより、何度か改築され、昭和3年(1928)の改築の折には、表門が建てられたほか、琉球松の植樹などが行なわれ、現在の冨崎観音堂および、その周辺の「松のある風景」が形づくられてきています。創建当初から航海安全を主に信仰を集めてきた観音堂も、今では「初詣」で賑わいをみせるほか、合格祈願や交通安全祈願等々と多様な祈願で訪れる人も少なくありません。

観音崎近くの山手側、石灯篭が連なる参道が目印。昔から島民たちの航海安全と無病息災を見守ってくださるありがたい観音様として大事に信仰されてきた。普段はひっそりと静かな境内も、正月には初詣客で混み合う。

 

最後に

 石垣島にきた際は場所も遠くないですし、石垣島の神社に是非足を運んでみてください。本当にいい時間でした。